気まぐれ日記 07年1月

06年12月はここ

1月1日(月)「元日の狛犬・・・の風さん」
 大晦日の夜はミニコンポとパソコンをつないで、かつて録音した大事な音楽カセットを、ハードディスクに保存することに挑戦した。そのためのソフトもハードも半年以上前から準備できていたのだが、トライする時間がなかった。フランツョーゼフ・マイヤー指揮のコレギウム・アウレウム合奏団による「バロック名曲集」の保存に成功した。93年5月9日にレンタルCDからハイポジのカセットテープに録音したものである。もしかするとデジタルからアナログになったデータを、再びデジタルに戻したのかもしれない。保存後はただちにノイズ除去の処理がなされ、完了後に再生してみると、カセットで聴くよりもずっと澄んだ透明感のある音に変化しているから驚く(もっとも気のせいかもしれないが)。
 この待望の作業をウキウキしながらやれたのなら、何の問題もないのだが、実は、きわめて体調不良だった。この間から鼻炎の症状に悩まされていて、それがかなり悪化していた。花粉症によく似ているので、抗ヒスタミン剤を飲んでもみたのだが、ほとんど効果がない。ならば風邪かと思うのだが、特に発熱もなく、どうも服用している薬の副作用の可能性が高い。いずれにしても、除夜の鐘を聞いたあたりからは、もう限界で、夕べは風呂にも入らずさっさと寝てしまった。ちなみに子供たちは、午前零時近くなると、さっさと自室に引っ込んでしまった。友達とケータイで新年を祝うメッセージを交換しようというのだろう。ま、とにかく、家族5人と猫2匹(シルバーとペコ)、亀の亀子、2匹の金魚(チビクロと金太郎)、クワガタのクワタン、みんなそろって年を越せるのだから、これに勝る幸せはない。
 例年ならば、元旦は初売りに出かけ、出版記念に目玉を入れる高崎だるまを購入してくるのだが、今朝は早く目覚めたものの、どうにも出かける元気がなかった。どうせだるまのストックは3個あるのだから、今年は大丈夫と思い、ゆっくり朝風呂に入って体調を整えることにした。
 年賀状の配達はだいぶ遅かった。確認してみると、出していない人からもけっこう来ていて、すぐに追加印刷した。今年は年賀状をたくさん購入してあるので、なくなる心配は全くない。
 昼近くにお屠蘇を祝ってから、近くの氏神様まで、ワイフと初詣に出かけた。私は買ったばかりの帽子をかぶり、昔500円で買ったサングラスをかけて、怪しい風体である。風のない穏やかな元日で、体調不良が消えていきそうな感じである。途中でさっき印刷した年賀状を投函した。
 神社には境内と本堂に続く石段があり、その入り口の鳥居のところに狛犬が控えている。一対の狛犬は阿吽(あうん)を表している。阿は万物の始まりで吽は終わりである。口を開けている狛犬が阿で、閉じている方は吽である。たいてい向かって右側が阿で左側が吽なのだが、ここのは左右が逆である。
「毎年思うのだけど、ここの狛犬は左右は逆だと思う」
「だったら、あなた、戻しておいてあげたら」
「・・・」
 平和は年明けである。
 今日も鼻炎はひどくて不快な一日だった。

1月2日(火)「早くも正月二日目・・・の風さん」
 海外へ送りたい小包があった。昨年は多忙で全くそれができなかった。昨年末に郵便局のホームページをチェックしたら、2日の午前中から窓口業務が始まると書いてあったので、今朝も早起きして、9時過ぎに地元の郵便局へ出かけたが、しまっていた。どうも田舎は当てにならないな。
 カセットテープに録音した音楽をパソコンのハードディスクに保存する作業は、昨日も継続していた。今日は、その中の一つをCDにコピーし、さらにプリンターでカラフルに色づけすることもやってみた。これも成功した。カセットテープはたくさんあるので、じゃんじゃんパソコンに保存したいが、だんだんそんなのんびり作業もできなくなるな。
 気持ちの上で焦り出した今日は、鼻炎対策として、病院からもらっている薬を一日中断してみた。もし薬の副作用だとすると、効果は今日中に表れるだろう。そして、薬が原因だと判明したら、今度診察に行ったときに、薬の変更を申し出よう。
 近所のスーパーに買い物に出かけたワイフが帰ってきて何やら騒いでいる。
「去年の年末ジャンボ宝くじの当選金を引き換えようとしたら、機械判定で「0円」って出たのよ! どうしてだか分かる?」
 去年の年末ジャンボ宝くじとは、一昨年購入したものである。連番で購入したので、末等の300円が1枚当たっているだけだ。念のため。
「さあ、どうしてかね。全く分からないね」
「宝くじが9枚しかなかったのよ!」
 つまり当選した1枚が抜き取ってあって、外れの9枚を提出したのだという。
「恥をかいたわ」
「そりゃそうだろう。だから、早く交換してしまいなさい、と言ったんだ」
 結局、その1枚がどこにあるのか、全く思い出せないという。私だって知らない、そんなもの。
 夕方になって、末等の宝くじの所在が判明した。長女が持っているという。
「お母さんが、くれるって言ったじゃないの?」
 忘却とは忘れ去ることである。忘れ得ずして忘却を誓うことの悲しさよ・・・(なんだこれ? 「君の名は」のセリフだな。古い〜)。
 病院からもらった薬を飲まないせいか、鼻炎がひどくならない。どうも、薬の副作用が犯人の可能性が濃厚である。

1月3日(水)「人生の意義について・・・の風さん」
 昨年は喪中で年賀状を出さなかったので、今年の年賀状の届くペースが遅い。また、届いた年賀状でも、住所が変更になっているものが目立つ(平成の大合併の影響もあるが)。
 今年成人式を迎える長女が、初詣に行くため練習も兼ねて初めて振袖を着た。絞りの着物で贅沢品である。中身が入れ物に追いつくのはいつのことになるやら。その頃には私は死んでいないかもしれない。
 新年の挨拶に実家に行くワイフも、負けずと、大島の着物を着た(着付けは友人に頼んだので、着せてもらったと言うべきか)。
 二人の写真をデジカメでバチバチ撮って、すぐにプリントアウトした。無限画素のフィルムカメラと同じくらいの出来栄えだった。やがて普通のフィルムカメラはなくなってしまうのではないか。
 長男も次女も用事で出かけたので、今日は私が一人で留守番となった。雑用をあれこれとこなした。
 夕方、ワイフの実家で合流した着物姿の二人が帰宅した。
 実家ではフィルムカメラで記念撮影をしてすぐカメラ屋で印画した写真を持って帰ってきた。義父母だけでなく、挨拶に来ていた義妹の家族も写真におさまっていた。義父母が嫁にやった二人の娘と写した写真。さらに孫も加えた写真。義父母と孫が一緒に写った写真。色々とあった。それらを見ていると、昨年亡くなった詩人の宗左近さんの言葉を思い出す。
「自分がこの世でやった意義あることは、唯一つ、子供をつくって育てたことだ」
 逆に、子供にとって、最大の親孝行は、孫を両親に見せることかもしれない。

1月4日(木)「武士の一分・・・の風さん」
 やっと郵便局が開いたので、たまっていた郵便物を一気に出すことができた。年賀状と速達、封書、冊子小包、エクスパック500そしてスペインへの小包である。さらに小為替の現金化もできたので、郵送料の支払いはそれで済んだ。
 郵便を出せたので、かなりの雑用が終了した気分になった。
 それで、今日は、ワイフと名古屋まで映画を観に行った。知人が勧める「武士の一分」である。
 テレビの時代劇よりも時代考証はマシなので、私などは安心して観ていられる。
 映画は良かった。原作は大好きな藤沢周平なのだが、映画が良かったのは、原作のせいではない。第一に俳優の演技である。キムタクの自然な演技と、初めて見る女優壇れいさんの瑞々しい演技が良かったのだ。脇役陣もしっかり二人を支えていた。こういった感動的な映画を、小説ではどうやって表現するかというと、これはもう、文章力に尽きる。特にびっくりするようなストーリーではないのだから、俳優の演技力はそのまま作家の文章力ということなのだ。
 今日の朝刊に直木賞候補作品が公表されていたが、そこに鳴海風の名前を出すためには、私はもっともっと文章力を磨かなければならない。
 名古屋への往復の電車の中で、岡潔さんの『春宵十話』が読破寸前まで行った。その中で、数学と芸術について書いてある部分が印象に残った。
「数学の目標は真の中における調和であり、芸術の目標は美の中における調和である。どちらも調和という形で認められるという点で共通しており、そこに働いているのが情緒であるということも同じである。だから両者はふつう考えられている以上によく似ている」

1月5日(金)「生産技術者・・・の風さん」
 今朝、目が覚めたら、久しぶりにめまいを感じた。これはきっと冬期連休が残り少なくなり、再び会社の仕事が始まる日が近いせいに違いない。
 昼食に鍋焼きうどんを食べているとき、なぜか食卓にスティックのりが置いてあった。しかも、見たことがないタイプ。トンボ鉛筆の「消えいろPit」という商品だった。キャップをとるとスティックがブルーである。塗り残しがひと目で分かり、接着後は色が消えるという。
 一体どういう原理なのだろう。色と接着力は何か関係があるのだろうか。いや、きっと関係ない。これは一種のアイデア商品で、普通ののりだが、色とその変化という付加価値をつけて顧客にアピールしているのだ。
 しかし、なぜ最初は青で、接着すると色が消えるのか?
 色が変化する原理ですぐ連想するのは、リトマス試験紙だ。酸性なら赤、アルカリ性なら青だった。のりを塗ってpHが変化するのだろうか。たいていの物質は空気中で酸化するから、元がアルカリ性なら空気と触れて酸性になる可能性はある・・・。
 トンボ鉛筆のホームページで、着眼点が正しいことを確認できた。このスティックのりは、初期はアルカリ性なのだという。空気中の二酸化炭素だけでなく、紙のもつ酸性成分と反応してというのには驚いた。確かに、中性紙でなければ漂白剤として酸性物質が使われている。
 ただし、青から無色に変化するというのは、リトマスではない。では、どんなpH指示薬が使われているのだろうか。
 指示薬で調べてみたら、これかな、と思うものがあった! チモールフタレインである。アルカリ性で青、中性と酸性では透明である。
 鳴海風は小説家だが、27年間の生産技術者としての会社生活が、ときどきこんな疑問や興味を抱いて調べてしまう。うーん、一流作家への道は険しい。

1月6日(土)「ようやく連休の仕事が始まった?・・・の風さん」
 昨夜から降り出した雨が今朝も冷たく地面を叩いている。昨日ほどではないが、ややめまいを感じる。起床したくない典型的な朝。連休もあと2日だ。どれだけ仕事が進むだろう。
 昨夜ほとんど完成した「健康」向けのエッセイを電子メール添付して送信した。土曜日だから今日は返信がないと思っていたら、豈図(あにはか)らんや、直に応答があり、より良いエッセイへ向けての検討が始まった。
 2月12日(月)の咸臨丸子孫の会の総会で、一昨年できなかったミニ講演をやらせてもらうことになり、その相談も始まった。昨夜と今朝で、その相談も進んだ。
 午後になって、懸案の会社の仕事に着手した。次年度の担当職場の方針を作成したのだ。けっこうな人数を抱えているので、私の素案を元に、これから議論を積み重ねなければならない。方針案が完成する頃、ようやく雨が上がり、陽も差してきた。明日は、職場で製作した凧を揚げる日だ。雨上がりの翌日は、当地では必ず強風が吹く。油断がならない。技量がものを言う凧揚げ大会になりそうだ。
 新鷹会の仲間である二本木由夫さん(ペンネーム鴨居静太さん)から、分厚い新刊が届いた。『秘香・蘭奢待(らんじゃたい) 最後の御所忍者(ごしょしのび)』(文芸社 1600円税別)である。三代将軍家光の時代で、幕府と朝廷との暗闘を描いている。朝廷を守る忍者として御所忍者が出てくるが、史実かどうかは知らない。読みやすそうだ。
 毎日年賀状が届くが、今年は、もらった年賀状を丹念にチェックしている。その中で、お世話になっている母校の図書館の方からの年賀状にURLが付記されていた。もしかしてホームページかブログを創設したのかと思って、開いてみたら、両方兼ねたページだった。ヨネザアドの知の泉というページで、精力的に活動している司書の方らしい「情報リテラシー」「図書館関連情報」「書誌学」といった構成になっている。ブログもあり、私や私の作品を紹介してくれているページもあった。なーんだ、こんなにしっかり宣伝してくれているのなら、教えてくれればいいのに・・・(笑)。私の知り合いには、私と違って奥ゆかしい方が多いのだ。
 品川にあるギャラリーオキュルスからメールがあって、朝日新聞の記事を見たと言う。皆さん、本当に勉強家というか、新聞や雑誌、書籍に目を通されるので、私は恥ずかしくなる。
 渡辺さん含めて、昨年8月19日の講演を聴講に来れなかった方たちへ、「数学文化」に掲載された講演内容をPDFファイル化して送付した。無名作家は自分で宣伝をせっせとやらなければならない。

1月7日(日)「凧揚げの顛末・・・の風さん」
 目覚めたら、窓の外は、昨日の雨が上がって、青空が広がっていた。しかし、強風が吹いている。今日は午後、勤務先の地域の凧揚げ大会に参加しなければならない。
 出かける前に、読みたい本があった。昨日購入した、佐々木常夫著『ビッグツリー』(WAVE出版)である。午前零時から2時までかけて3分の2ほど読み進んでいた。自閉症の息子やうつ病の妻の介護に奔走しながら、前向きに生きてきたサラリーマンの記録である。似たような境遇の人が近くにいて、読んだら進呈しようと思って購入したのだが、著者のプロフィールを見てビックリ。高校の9年先輩だった。そういったこともあって、夢中で読んだ。
 読み終わって、学んだことがたくさんあった。夫が頑張れば頑張るほど、妻はそれが重荷だったということ。夫がこれでもかこれでもか、と努力し続けている間、トラブルメーカーのように思われた妻は、必死に自分の病気と戦っていたという事実。今まさに障害者を抱えて奮闘しておられる家庭というのは、こういったちぐはぐな感情が交錯する中で(つまり非常に危険な状態で)社会から隔絶したように生きているのではないか。ほとんど何も問題がない我が家など、そういった家庭から見れば、天国であり、幸福の絶頂と言っていいのかもしれない。
 読み終わる頃、さきほどとは一転して、空は雲で覆われ、雨が降ってきた。
 凧揚げは中止と思われたが、既に時遅しだったらしく、うちの職場の凧も現場へ向かっていた。そして、雨はおろか雪までちらつきそうな寒い空の下、直前で中止が決定したため、延期という処置も選択できなくなっていた。公民館で行われたセレモニーに参加して分かったが、地域からのボランティアで豚汁の炊き出しやら、色々な準備がすっかり進んでいたのである。
 凧は一張りも空を舞うことはなかったが、それぞれに対して記念の賞品が与えられて、今年は終了となった。お願いして会社の常務や部長に来ていただけたのは良かったが、うちの凧が大空を飛翔する姿を見ていただきたかった。
 私以上に悔しがったのは、職場で凧作りに参加してくれた人たちである。自分たちの精魂込めた文化財のような出来栄えの凧が、はたしてどれだけ勇壮且つ優雅に大空を舞うか見たかったろう。地域から頂戴した「天空賞」という文字がうらめしく見えた。

1月8日(月)「長い一日・・・の風さん」
 今日は長女の成人式である。長女は5時に起きて美容院へ行き、帰って来てすぐ着付けに行った。
 用意がすべて整ったところで、私の出番。写真撮影である。ご近所の奥さんも一緒にパチリ。すぐさま印刷にとりかかる。慣れたもんだ。
 その間に、冬休み中にできなかったことに取り組んだ(実は、今日は午前有休である)。
 3月の講演のタイトルを事務局へ連絡する約束になっていたので、ちょっと考えて送信。参考資料もいくつか添付した。
 早めに昼食を摂って出発。途中、地元の図書館に寄って、仕事に関する専門書を2冊借りた。
 本社の年賀式に出席してから製作所に向かった。今日もミッシェルの走りは快調である。気分がいい。
 昨年末から年始にかけての出張手続きをしているうちに、私の職場の年賀式の時間になった。
 職場の年賀式では、長女の成人式の話をするつもりだったのに、わずか3、4時間会社の仕事をしているだけで、もう頭の中から家庭のことが消えてしまった。それで、何を話そうとしていたか全く思い出せず、今年の仕事の展望だけ話して終えてしまった。
 その後も残業をして、あれこれと処理しているうちに、ケータイにメールが入った。
 ワイフからだった。
 「今日はお赤飯よ。何時に帰って来れるの?」
 しまった、と内心思っても遅かった。

1月9日(火)「小鯛のけんちん煮と数独の関係・・・の風さん」
 今日は朝から不安だった。
 ほぼ隙間なく一日のスケジュールが埋まっていたからである。会社では自分で自分のスケジュールが意のままにならないことが多い。
 昼休みもなく午後9時になって、今日の仕事を中断した。「終えた」と書かないところを注目してほしい。一日の仕事を終えて帰宅したことは、入社して2週間ぐらいだけだった。その後は、常にオーバーフローしていて、優先順位をつけて仕事をやり、どこかで踏ん切りをつけて仕事を中断して帰宅することを続けている。同一部署でほぼ似た仕事を、しかも比較的広く担当してきたので、こういう状態になっている。よく「うつ病」にもならずに、と他人は思うかもしれない。きっと「うつ病」ぐらいにはなっているのだろうが、程度問題、あるいは病気に専念するだけの余裕もなかったのかもしれない。
 帰宅したら、調理師専門学校に通っている長女が(成人式を迎えたばかりの)、練習ということで、日本料理を出してくれた。
 「小鯛のけんちん煮。蒸したのよ」
 恐らく生まれて初めて食べる。
 「美味い!」
 高級な魚として有名な鯛を、私はあまり気に入ってはいなかった。特に焼いた鯛など骨をとるのが面倒で、いい加減にしてくれ、と言いたい。しかし、この料理には無論骨は抜いてあり、中にいり卵を巻いた形をしていて、なかなか上品で味がしっかり舌に伝わってくる。
 「お父さんの数独の記録、全部破ったよ」
 「にゃにい?」
 PSPで数独のソフトをやっているのだが、長女とタイムアタックを競っていた。これまで私がトップの記録を保有していたのだが、それを破ったという。しかも、聞くと、とんでもない短時間である。
 「ベストテンに、もうお父さんの記録は1個しか残っていないよ」
 「・・・」
 夕食後、密かに挑戦したのは言うまでもない。しかし、やっとベストテンに1つ記録を加えたにとどまった。ゲームで子供と張り合うのはやめるべきだった。

1月10日(水)「出張は疲れるぜ・・・の風さん」
 今年最初の出張での上京。
 自宅での細々した用事が片付かないままの出張で、少し落ち着かない。
 とにかく出発した。スケジュールは綿密に組んであり、かなりの歩数を歩くはずで、万歩計を装着した。お土産にする日本酒を2本紙袋に入れ、新書と文庫をカバンに入れた。
 新幹線の指定席を取ってなかったので、名古屋駅の自動機で席を確保。出発前に名鉄百貨店とコンビニとキオスクで買い物。
 昼食は車中でおにぎりとお茶(相変わらずビンボー)。
 最初の訪問先に行く前に、今夜のホテルに寄って荷物を預けた。
 1社目の用件は、ほぼ目的を達した。
 続いて2社目。ここは誤算だった。依然としてハードルの高さを感じた。結果、相当な疲労感が残った。
 ホテルに正式にチェックインし、知人に連絡をとって、夜、新橋で落ち合った。
 知人は私が勤務している会社をデューダした人なので、さまざまな話ができる。しゃぶしゃぶを食べながら情報交換を終える。 
 そして、知人を伴って貴族へ。ここも久しぶりだ。珍しく外人客が来ていて、そこのテーブルがやけに盛り上がっていた。
 いつも会う高校の同級生が多忙で来れなかったので、お土産を預けて早めに貴族を出た。
 ホテルに戻り、ゆっくり湯船に浸かったが、疲労感がとれなかった。
 万歩計は自宅からここまでで13000歩を超えていた。
 ベッドに横になりながら、面倒なケータイのキー操作をしてメールを送り、そのままバタンキュー。

1月11日(木)「27491歩・・・の風さん」
 8時に目が覚めたが、首が痛い。どうやら持病の頚椎症が出たようだ。黄信号である。
 ぐずぐずしているうちに会社の上司からケータイに電話が入った。ちょっと長めに会話した。
 ホテルをチェックアウトして、今日の行動開始である。
 出張先まで大きく迂回してたどり着くことになるが、東京にいるときはそれが効率的なのだ(つまり、会社の仕事をしながら、同時に作家としての用事も済ませてしまう)。
 初めて、池袋のジュンク堂を訪れた。2000坪を超える巨大なフロアを持ちながら、キャッシャーは1階に1箇所だけ。各階に椅子とテーブルがあって本をゆっくり下読みできる。ネットで簡単に本が買える時代である。ネットにできないことをやらねば、書店は消滅する。だから、このアイデアは素晴らしい。作家の一人として、書店や図書館は支援しなければならない。
 今日の出張先へようやくたどり着いた。某業界の新年賀詞交歓会なので、愛想良く振る舞った。続いて、立食式のパーティだったが、この後やることがわんさとあるので、アルコールは控えた。
 終了後、近所の寺院に初詣して、家族の健康と公私両方の仕事の成功を祈った。
 続いて、某出版社の編集者と1年ぶりくらいに会って、新年の挨拶がてら色々と情報交換。
 高輪台に移動して、ギャラリーオキュルスを訪ね、新年の挨拶。事前に予告してあったので、建築家のYさんが待っていてくれた。たまたま画家の方が二人先客としていたので、自己紹介をして歓談に加わった。文化にどっぷり浸ることができて、幸福な気分だった。
 多忙な私はそこを30分で切り上げ、再び移動開始。
 丸の内ホテル7階で某出版社の編集者と打ち合わせ。一昨年から相談していた企画に正式にゴーサインがかかった。秋までに出版しましょう、ということになった。
 出版が決まったということはめでたいことなので、帰りの新幹線で弁当を買って食べた。
 帰宅して万歩計を外してみたら、27491歩となっていた。今日も14000歩以上歩いたことになる。

1月18日(木)「ジュンク堂池袋本店にいつか登場・・・の風さん」
 息つく間もない1週間を過ごしてきました。
 そして、今も、その間の出来事を日記というかエッセイ風の記録にまとめる余裕がありません。
 今日は午前中に病院へ行って持病の薬をもらってきました。診察を待っている間に、ちょっとした仕事をしました。研究企画書のアイデアをメモにしたのです。詳細は後日。
 この1週間の出来事の一つとして、ジュンク堂池袋本店でのトークセッション出演が決まりました。4月7日(土)の夜7時からです。ドリンクとセットで1000円のチケットを購入すると、鳴海風に会えます(笑)。東京近辺の人たちに宣伝してみようっと。

1月19日(金)「野村先生のお元気な姿にホッとした風さんの巻」
 会社の仕事で出張した帰りに、新鷹会の野村敏雄先生のお見舞いに行ってきた。抗がん剤投与を終えて、現在は自宅で療養中である。先生のご自宅は都心から距離があるので、電車を何度も乗り継がないとたどり着けない。最後の乗り換えが小竹向原駅で、東京メトロ有楽町線から西武有楽町線への乗り換えだった・・・が、ミスった(笑)。そもそも乗り換え時間が1分しか設定していなかったのが失敗の元だった。平和台まで行ってしまい、そこからタクシーで待ち合わせの大泉学園駅まで向かった。地下鉄なら10回ぐらい会いに行けるぐらいのタクシー代だった。
 結局、先生を15分以上も待たせてしまい、とてもお見舞いとは言えない事態となってしまった。
 先生は和服で帽子をかぶり大きなマスクをつけた完全武装だった。
 近くの寿司屋に入り、早速ビールを注文した。医者からは、好きなものを食べて、適度に運動もしてよい、と言われているとのこと。表情も普通で、まずはホッとした。つまみを4品とり、続いて冷酒にした。酒豪の野村先生だが、量を控えていると言う。
 小説の話を中心に、2時間ほど歓談した。最後ににぎりを2品ずつ注文してご飯代わりとした。カウンター席だったので、目の玉が飛び出るような料金になるかと思ったら、豈はからんや、超低料金だった。これなら、また来たい(^_^;)。
 タクシーで帰る先生を見送って、私は帰途についた。
 電車の中で吉村昭さんの『プリズンの満月』を読み終えた。今年4冊目である。快調な読書ペースだ。この作品は戦犯を収容していた巣鴨プリズンを舞台にしている。戦勝国が敗戦国の人間を裁くのは、そもそも不当な結果を生み出す可能性が高い。報復という感情が裁判を支配する恐れがあるからだ。イラクでのフセイン元大統領の裁判と処刑がほとんどそれだった。太平洋戦争後のアメリカによる日本人の裁判も同じだったのである。そもそもほとんどの戦犯は、犯罪人ではなかった。最終段階では、巣鴨プリズンは戦犯にとって単なる宿泊所のようになり、戦犯は毎日自由に外出して家族のために賃金労働をしていたのである。そして、処刑を免れた戦犯たちは、最後はさまざまな形で釈放されたのだ。
 帰宅したのは午後11時20分ごろである。実は、今日も万歩計を装着していて「14307歩」を示していた。最近よく歩いているので体調がまずまずである。やはり作家といえど、歩かなければいけない。

1月20日(土)「けっこう無理しているかも・・・の風さん」
 健康なフリをしているが、実は、昨日は寒暖の差が激しかったせいか、風邪を引いたかもしれないと、早めに寝ていた。 
 お陰で、今朝は早起きができた。しかし、今日も冷える。大寒らしい。
 新鷹会の仕事をした後、ある準備をして、午後2時にミッシェルで家を出た。名古屋にある愛工大の本山キャンパスが目的地である。片道50kmぐらいある。いくらか元気なような気がするので、有料道路や高速道路を使わず、往復共に一般道を走った。
 本山キャンパスに行ったのは、ある先生に相談することがあったからだ。相談は無事に終えることができた。
 帰宅し、夕食を摂ったあと、読みかけの本を読み終えた。技術経営論(MOT)に関する本で、今年通算5冊目の読破である。続いて、本山キャンパスでの早速相談結果に基づいて、ある資料の作成に取りかかったが、どうも作業速度が遅い。
 午前零時過ぎにやっと一段落してから入浴し、その後、また書斎に籠って雑用をこなしている。
 そろそろ午前3時になるので、筆を置こう。

1月21日(日)「おとなげなくセンター試験に挑戦する風さんの巻」
 昨日、長男がセンター試験を受けてきた。できたかどうか、どうも話題が盛り上がらない。それもそのはずで、芸大を目指しているので、本人は学科など問題にしていないからだ。本当は学科だけで進学するのが一番楽なんだけどなあ。ま、親が(私のこと)苦労というか困難に対して無謀な挑戦をするタイプだから、けしかけることはしても、止めはしない。
 そこへ次女が得意のデッサンを持ってきて披露した。「ダンボール紙を突き破るケンダマ」「ガラスのコップに入った軍手とくるみ」の2枚である。ワイフが、「さあ、何とか言って批評しなさいよ、勉強なんだから」と長男を促した。
 「予備校にいる芸大受験浪人生より下手だな」
 「何言ってんのよ! 私はまだ高1よ」
 次女は口をとがらせた。
 一夜明けて、食卓の上に妙なモノを発見した。昔のウォークマンみたいな形をしていてイヤホンが出ている。
 「それでセンター試験の英語のヒアリングをやるのよ」
 長女が教えてくれた。
 今日の朝刊にセンター試験の問題と回答が載っていたので、得意の英語に挑戦することにした。
 制限時間を測るのは長女に頼んだ。
 真剣にやり終えて、採点もした。筆記が179点(80分、200点満点)、ヒアリングが42点(30分、50点満点)だった。筆記は昔より落ちていると思った。ヒアリングはもともと苦手。問題は筆記もヒアリングも実用英語に近い感じがした。

1月23日(火)「老いぼれシルバー・・・の風さん」
 夕べはどうにも眠くて早めに寝てしまった。その分だけ早起きできるかと思いきや、普通に起床した(笑)。
 階下へ降りて行って、ふと玄関の三和土(たたき)を見ると、自分の靴がきちんと揃えてある、その周囲に何やら黒くて丸い物体が、一つ、二つ、三つ、ゲゲェッ! 四つも。猫の糞である。犯人ならぬ犯猫はシルバーに違いない。玄関には猫のトイレも置いてあるのだが、毛の長ーいシルバーは、よくお尻にくっつけたままトイレから出てくる。日曜日の夜も、もう一匹の猫のペコが鳴き騒ぐので、おかしいと思って周囲を点検したら、冷蔵庫の前に大き目のやつが落ちていた。それにしても、見事に私の靴の周りに並べたものだ。靴の周りで踊ったのだろうか? もし踊ったとすると、曲はタンゴだな、黒猫のタンゴ・・・寒い〜!
 会社から帰宅したら、長女がケーキを作っていた。実技試験が近付いているのだ。余った生クリームをもらって、ウィンナーコーヒーを作った。生クリームがあまり甘くない。そうだ。長女は生クリームが嫌いなのである。
 そろそろ風呂に入ろうと階下へ降りて行ったら、次女が泣きそうな顔をして庭のログキャビンにいるワイフへへインターフォンで話していた。
 「お母さん、シルバーが私の部屋で、布団の上にオシッコした」
 今日だけで二人の犠牲者が出た。

1月24日(水)「日にちの過ぎ去る速度のなんと速いことか・・・の風さん」
 今年になって出張も多く、上京してかなりの歩数を歩いていたせいか、足腰に不安がなく、最近は元気に会社の仕事をしている。良いことなのかどうなのか、肝心の執筆の方は停滞気味である。今夜こそ、といつものように勢い込んで帰宅したら、本が2冊届いていた。
 ネットで注文しようとしたら品切れだった鴨居静太さんの『黒い蝶』(北宋社)と、シリーズ第3弾となるたからしげるさんの『らーめん魔神亭Bゴマダレ冷やし中華のわな』(ポプラ社)である。昨年からけっこう一生懸命に読書しているが、積読(つんどく)状態の本は多い。いつになったら読めるのか、ちょっと心配だ。第一、自分の執筆が・・・。
 寒中見舞いも下火になって、今年の年賀状を含む住所情報の更新を昨夜で終了した。今年も鳴海風宛てが本名宛てをかなり上回った。それはいいとして、少し慌てたのが、会社に届いた年賀状である。どうせ仕事上の付き合いの方からの年賀状だろうと、ほとんど真剣に見ていなかったのだが、昨夜よおっく見てみると、友人からのが交じっていた。おいおい、結果として年賀状出せなかったじゃないか! 寒中見舞いをかねて封書で年賀状を送ってやろうかな。どうせ余っているのだし、抽選も外れている(笑)。

1月26日(金)「単にくじ運が悪いだけか・・・の風さん」
 今日は会社員の風さんの日記。
 毎年、この時期は、勤務先のマネージャークラスが一堂に会する新年会がある。一番の目玉は抽選会があることで、豪華景品が当たる(運の良い人には)。10年以上前に私が幹事をやったときに、賞品に海外旅行を入れたら、年々それがエスカレートしてきた。会費はそこそこ集まっているし、何と言ってもスポンサーがいるのだ。それは旅行代理店で、勤務先と密接な取り引き関係になっているので、旅行券を格安で提供してくれるのだ。海外旅行だけでも当選確率は1%近い。すべての景品を対象に計算してみれば、当選確率は3%ぐらいになるのではないだろうか。
 今年の新年会の会場は、名古屋マリオットホテルだった。1年に1回こういう時にしか会えない同期の友達などと近況を語り合えて楽しいが、抽選の時間になると会場は殺気立つ(笑)。
 しかし、今年もさっぱり当たらず、もう10年以上も出席しているが、一度も当たらない。いたずらに勤務年数が増えているのに、これはどういうことか。努力しない限りは喜びは得られないというジンクスを死ぬまで保持し続けろという天の教えに違いない。

1月27日(土)「たった一日でも矢の如し・・・の風さん」
 最近、猛烈に忙しく、日記をこつこつ書いている余裕がない。
 ある必要性があって、健康診断書を入手しなければならなかった。会社の診療所では発行してくれないので(学生とは違う)、今日、近所の病院に行くことにしていた。受付は午前中なので、できるだけ早く行こうと思っていた。・・・が、目が覚めて時計を見たら、な、なんと10時半を過ぎていた。・・・で、飛び起きた!
 11時半。病院に着いたら、駐車場が区画外にもクルマがとまっているほどの混雑だった。冬期は風邪を引いて病院に来る患者が多いのだ。どうなることかと思ったが、とにかく診察券を出して、健康診断書が欲しいと伝えた。
 ところが、それからがすさまじかった。内科と整形外科がバリアフリーでつながっている病院なのだが、混み合う患者を縫うようにして、着々と私の検査が進んだ。ベッドに寝て点滴を受けている人の横に立って視力検査をしたり、内科診察の横でヘッドフォンをつけて聴力検査をするといった状態だ。胸部レントゲン検査など、あっという間に順番が回ってきて、上着を脱いだだけで機械の前に立ち、着替えて待合室に戻ると間もなく写真が医師のところへ届くというスピードだった。
 会計を終えて病院を出るまで、ほぼ1時間だった。
 しかも、この慌しい検査の合間にも、持参した小説の1章を読破した。
 帰宅してから、ようやく初めての文庫向けの原稿を書き始め、夜になって来月12日に咸臨丸子孫の会の総会でやらせていただくミニ講演のスライドの準備をした。

1月28日(日)「長女のバイト姿・・・の風さん」
 昨日着手したミニ講演スライドを昼前に完成させてから、家族と共に名古屋へ出かけた。
 名古屋マリオットホテルの某レストランで、接客係としてバイトをしていた長女が、正式に調理師としてホテルに採用されたため、その準備も兼ねて、来月から同じフロアの別のレストランのキッチンでバイトを始める。今日は、家族で昼食をとりながら、お世話になったレストランの上司らにお礼の挨拶をするのである。
 とは言え、実は、長女がバイトしている姿を、これまで一度も見たことがなかった。接客係(ウェイトレス)として入った長女だが、今では、ビュッフェスタイルのランチやディナーの時に、カービング(carving)を任されるようになっている。今日もそうで、白いコックコート、エプロンに円筒形のコック帽、首には赤いネックチーフというシェフ顔負けのいでたちだ。笑顔でてきぱきと働いていた。これなら料理の味が一段と増すに違いない。長女が調理師を目指すまで、ほとんど気が付かなかったが、女性にとってもコック(シェフかな)はカッコいい職業のようだ。
 超一流のホテルのレストランとはいえ、仕事は相当にきつかったと思う。よく2年間続いたものだと、親として感心している。
 これまで何度かこのホテルのレストランを利用しているが、こういった縁が始まるとは夢にも思っていなかった。もし長女の配属先が、名古屋マリオットホテルのレストランのどこかに決まったら(系列ではあるが、別の地方のホテルのレストランということもあり得る)、今後は親としてレストランに積極的に顔を出していきたい。なぜなら、女性の調理師が定着するのはなかなか厳しい世界なのである。遠くから見守るにしても、現場がどういうところかさっぱり分からないのでは、遠くから見守っているとはとても言えないと思うからだ。
 ランチを食べながら、あれこれと長女の将来を想像しながら、集まっている多くの客たちの人間観察も怠らなかった風さんではあった。
 やっぱり名古屋地方は豊かだと感じた(東京に比べて)。
 
1月29日(月)「早くも菜の花が・・・の風さん」
 今朝の出社途中で、ミッシェルの走行距離が11万キロに達した。中古で購入してから、私自身で7万キロ運転したことになる。だいぶ傷んできてはいるが、走りに満足しているので、来年の車検も受けてさらに2年乗ろうと思っている。推定走行距離は、15万キロを楽に突破するだろう。
 早朝、田園風景が続く中を、ミッシェルを飛ばしていると、野原に早くも菜の花が点々と黄色い花を開かせ始めているのが目に入った。暖冬のまま月日は過ぎて、春を迎えそうである。
 忙しい土日を過ごした後の月曜日は、ひどく疲れるものである。
 早々と退社して帰宅した。
 予定通り、母校に依頼してあった、大学院の修了証明書や成績証明書が届いていた。
 今度の週末は父の三回忌である。墓前には既に蝋梅(ろうばい)を含めた花々が、ワイフの手で彩りを添えている。

1月30日(火)「探し出す努力・・・の風さん」
 今日は朝から懸命に職場内を歩き回った。足で稼ぐこともある。現場を持っているから当然とも言える。
 疲労困憊して帰宅すると、思考もやや愚痴っぽくなる。
 今月、最も腹が立ったのは、直木賞の「該当者なし」である。「該当者なし」になるような候補作品を選ぶなよ、と言いたい。そもそも、今回は自分自身も出版しているので、気になるイベントである。自分の作品が候補になって受賞しなかったのなら、諦めもつく。そうでないから、候補作品の一つとして選ばれなかったことまで不愉快になるのだ。
 探せば優れた作品は、まだまだあったに違いない。探し出す努力が足りなかったのではないか、と言いたいのだ。一体誰だ? そういった努力をもっとすべき人たちは? 
 「該当者なし」?

1月31日(水)「『算聖伝』が売れた・・・の風さん」
 昨年8月の講演「『ラランデの星』にこめた想い」を日本数学協会の「数学文化」に寄稿した原稿の別刷りを、今朝、8人の人たちへ郵送で送った。できれば、昨年末までに送りたかったのだが、とっても忙しくて、とうとう1月最後の日になってしまった。
 しかし、何はともあれ、これで『ラランデの星』を読んでくれた多くの方たちに、別刷りあるいはその電子データを送ることができた。亡き父への供養は、週末の三回忌で本当に一段落を迎えることになる。
 今日は本社へ出張したついでに、先週注文を受けた『算聖伝』を知人へ届けてきた。
 その人は、やはり知人から私の『円周率を計算した男』を手に入れ、面白かったので、別の作品を読んでみたいと言ってくれたのだ。会社の仕事で関係ができた間柄なのだが、ひょんなことから私が『円周率を計算した男』の著者であることを知り、興味を持って次の作品を読んでくれる。縁とは不思議なものだし、またありがたいものだ。

07年2月はここ

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